何度も書いておりますが

私は飽きもせず何度も何度も

かれこれ30回以上は

原爆ドーム&記念館を訪れています

何でか?というと

難しいんだけれど

ただただ被害者のみで形成された

絶望的な哀しみがそこにはあって

戦勝国に言わせれば

戦争なんてそんなものだろ

となるかもしれないけれど

とんでもないほど多くの人が

一瞬で命を奪われ

それだけでも悪魔的なのに

まだその瞬間に亡くなられた方々は

苦しむ時間が短かったかったという

慰めにもならない苦しが続いて

これまた、とんでもない数の命が

絶望と共に奪われ

でも、そんな中にも

様々な思いに縛られながら

命を全うできる方々もいて

それらと無関係である我が身は

知らぬ間にも

どれだけ恵まれているか感じると

やはりあそこには

命の素晴らしさや

尊さがあるから

それを確認する為にも

何度も足を運ぶのです

あの建造物を目の前にして

誰が悪いとか

戦争の罪がどうとか

どの面を下げて

誰が言えるのかということです

大切な方が亡くなられたなど

命の尊さを考える機会はあっても

平和のありがたみや価値を

真剣に考える機会は

日常にはあまり無いでしょう

同じ生きるにしても

この世の、この国で

日々を暮らしている傍らで

さほど遠くない過去に

かのような悲しいことがあった

それに向き合った上で

どう過ごすのか

そういう気持ちを

道徳というんじゃないかな

そんなこんなで

ゴールデンウィークが明けたら

また広島に入ります

そしてまた

路面電車に乗って

あの場所に行く

一着の焼け焦げた服にも

一箱の弁当箱にも

誰かの人生があったから

目の前にそれらはあるのです

うちにも爺さんがいて

戦争で死んだことなんて

身内以外、誰も知らなくて

興味もないこと

だからこそ

残された一つ一つの物体を

見てあげることは

私には意味があることなのです

redio3