札幌から帰ってきました

名古屋〜東京〜広島〜札幌と

長かった連続出張も一段落し

暫くは業務に専念です

さて

またしても裁判員裁判で下された死刑判決が

高裁にて無期に減刑されました

過去の判例を重んじる裁判所が

死刑判決を慎重になるのは理解するけれど

ならば

どうして

裁判員制度を導入したのか?

死刑の可能性がある裁判を除外しないのか?

よく理解ができない

何より

無期懲役や死刑といった判決になるような事件では

金銭的な被害者弁済が

ほぼなされていないという現状があります

当然、お金じゃないでしょうが

被害者遺族に加害者から何の慰謝もないまま

ただただ

被害者遺族は無期懲役になった犯人の

刑務所費用にも充てられるであろう税金を

悔しい思いのまま、払い続けるだけ

給料から差し引かれたお金の一部が

確定申告をして払ったお金の一部が

身内を殺した犯人の為に使われる

それがわかっていても

払わなければいけない義務がある

その空しさはないでしょう

極論になるけれど

江戸時代まで合法であった仇討が許されるのであれば

無期懲役どころか

起訴猶予でもなんでもいいでしょう

でも

それは決して許されない

我が子をどれだけ惨たらしい殺され方をしようとも

妻や子を殺した殺人鬼が

出所後、1ヶ月で

強盗目的で他人を殺そうとも

犯人は生きており

寿命をはっとうできる

自分の子供は死んだ

何の仕返しもできず

そいつらが生きる為の費用を死ぬまで負担させる

それで本当に良いのかねぇ

死刑が良いのか悪いのかなんて

学のない番長にはわからない

けれど

事実、死刑制度はあるし

判断を国民に委ねるというのが裁判員制度

その責任を国民に強いておいて

判例がこうだから死刑はダメ

最後は裁判所が決めるというのは

どうなんだかな?

普通に考えただけで

おかしくないですか?

それなら

やはり

求刑が死刑である裁判は

裁判員制度でやる理由はなく

裁判官だけでやればいいでしょう

小さい頃から勉強漬け

青春時代も勉強の毎日

ろくな社会経験もないまま

就職した途端

自分より年上の人が「判事」、「判事」

突然、神様になったかのような扱いを受けたまま

世間との交際も制限さた生活を過ごし

とてつもなく狭い世界で生きている

とてつもない権限を持ち

誰にも介入されない権利を得る

人格はよほどでない限り関係なく

そういう過程を過ごして職に就き

ひたすら自己保身と恥をかかないことだけを考え

機械的に仕事を進める

それが裁判官です

そうではないという裁判官もいるにはいるでしょうが

そんなのは

ほぼ皆無

嫌味でもなんでもなくて

それが実情でしょう

そして

被告人も被害者、被害者遺族の誰も

裁判官を選べない

どういう裁判官にあたるかは運次第

裁判の傍聴をしていれば

裁判官の裁量

裁判官の心証というものがどれだけ重要かは

刑事事件であれば

検察と弁護人の言動

民事事件であれば

両弁護人の言動をみていれば

とてもよくわかります

最も公平で公正でなければいけない場のはずなのに

個人の意思で大きく変わる

まあ

納得いかなければ

だからこその三審制というでしょうが

なんだかなぁ

高い確率で

裁判員になんて選ばれることはないけれども

意味のないことに加担させられ

貴重な時間を消費した上

茶番劇に付き合わさせるのは嫌だな

繰り返しになりますが

裁判員制度が始まった時点で

それまでの判例の運用基準が希薄になるのは

わかっていたことでしょ

それでも判例重視なら

国民を空しくさせるだけの裁判員制度なんて

最初から導入する必要がないのです

yahashi