26年前、小渕さんが

一枚の紙に書かれた文字を示した

そこに記されていたのは

≪平成≫

現代の呼び名となる元号です

「内平外成(内平らかに外成る)」

「地平天成(地平かに天成る)」

だそうみたいだったのですが

なんだか、ぽわーんとした感じがして

個人的には

「平らに成る時代」

「皆、平等になる時代」

みたいで

何となく嫌だなと思えました

それから長い年月が経ち

そんなことは忘れていたんだけれど

改めて考えてみたら

平成になってからというもの

人は辛抱や恥

勿体ないということを忘れ

権利ばかりを主張し

義務を果たさすことなく

一般人の真面目は格好悪い

みたいな

嫌な予感が

そのままになってしまった…

ように思えるのです

良くも悪くも≪昭和≫は

根拠はないんけれど

元気さや希望があったように思えます

学歴もない

家も貧乏なんだけど

頑張れば何とかなる

直向きに元気で頑張れば

きっと成功できるんじゃないか

といった雰囲気があって

諦めといった感覚は

誰も持ってなかったように思えるんです

「昔の記憶は美化したがるもの」

「おっさんの戯れ言」

と言われてしまえば

そうかもしれませんが

少なくとも

男も女も

所謂、硬派な生き方をしている人が

本当に多くて

恥ずかしいということに対する感性も

今とは全く違っていたように思います

だけどそれを

今の若い者は…なんて言葉にするのは

ちょいと違って

昭和世代の者が

勘違いした権利みたいなものを

主張することの楽さを覚えて

それを見習った今の若者が

さらに楽さを求めるのは

自然の流れだと思うのです

頑張らない者が

「頑張れば何とかなるよ」

なんて口に出来るわけないもんね

なので

平成がこんな世になった責任の大半は

昭和の人にあると思うのです

だからといって

それで良しとするのは

絶対に誤りで

誰かではなく

多くの今の人達が

間違いは正すということをしないと

さらに悪くなるから

個々単位で

早く気がついて

良い方向に向いていって欲しいと

願うのです

「皆が平等に成る時代」なんて

いつの時代も

どこの国でも成し得られるわけがなく

頑張った者には

いくらかの褒美がある世が正しく

また、そうであるべきなのです

なので、平成は

平等な評価を得られる世に成る時代

になって欲しいのです

ネット、ネット、ネット、IT

もいいけれど

最初はアルバイトからでいいから

額に汗して

真っ黒になって働く人にも

正しく成功して欲しいのです

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