地球環境保護とか脱炭素などと言うけれど、それら全ては平和という前提があってのものだということを思い知らされました。

一旦戦争が起きてしまうと、地球に優しいなんて言葉の一切合切は綺麗ごとになってしまう。

パラリンピックの裏側では、多くの障害者の方々が無抵抗のまま亡くなられていく。

平静を装ってはいるものの、他国の資源ありきの環境先進国と呼ばれる国々は、総崩れの骨抜き状態。

資源のない大半の先進国は、原発へと傾倒していくしかないと暗に覚悟を決める。

そうなるとクリーンが取り柄という電気自動車とガソリン車のどちらが地球に優しいのか、結果は神のみぞ知るみたいになってしまうような。

絶対的暴力をもって踏みにじられている弱者を目にし、安全な場所からできるかぎりの支援をするという。

しかし、もし数万人の方がやってきて生活保護で生活していく現実をみる結果になったとしても、同じ立場でいられるのだろうか?

そういったことを考えると、自国だけの平和は将来的に保障された平和ではないということに気付く。

また、弱者を蹂躙している絶対的暴力をもつ者が、本当の強者であるかは別の話しなのだろう。

最近の様を見て、世の中は助けてあげる詐欺で成り立っていることがよくわかりました。

弱者はただ強者の食い物として騙されるのみとなっています。

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