先日、「命の軽さが気になる探偵」で想定しない自死が気になっていると書きました。

それに追加して、直接か間接的にかは異なるにしても、自死の多くにはパワハラやモラハラを含めた「言葉の暴力」が関係していると思っています。

割合的には90%を超えるのではないかと考えています。

自分の過ちだけや肉体的な暴力であれば耐えられるかもしれないけれど、第三者から継続して浴びせられる言葉の暴力に耐え続けられる人はそうそういません。

身体的な暴力というのは、目で見ればわかる部分もありますし、全治何日・何週間というバロメーターではかれたりもします。

だけど、精神的な暴力は他人の目ではわからず、傷の深さも本人以外にわかりません。

罪深いのが加害者が全く罪の意識をもっていないことが大半という事実も、この問題を闇深くしている原因でもあります。

その中には「相手の為を思って」という狂気じみた言い訳をする輩も多く、そういった者が被害が永遠に続くと錯覚させる元凶になっています。

夫婦であろうと恋人であろうと、子供であろうと、部下であろうと、他人の人生です。

子どもの道徳教育というごく一部の問題以外は、余計なお世話なのです。

余計なお世話で他人を追い込む異常者に対してできることは、逃げるか戦うかの2択になります。

死を招く、我慢するという選択はないでしょう。

逃げるは良い選択です。

誰に迷惑がかかったところで、あなたのことを本当に思ってくれる人であれば、いつか許してくれます。

戦うも悪くない選択です。

でも、これまで戦わなかった人が、いきなり自分で戦うのはちょっと無理があります。

強い人に味方になってもらいましょう。

強いというのは身体的ではなく、賢いという意味です。

逃げながら戦うというのもアリです。

ここまでくればおわかりになられると思いますが、あなたを苦しめる人から離れることから全てがはじまるのです。

我慢の人生なんて誰にもできないのですよ。

その上、さらに我慢しなければならない可能性のある死という選択はあり得ないと思いませんか?

誰かに頼っても良いという、ちょっとした勇気から始めましょう。

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